この本。
先日、セウォル号沈没事故について、衝撃のドキュメンタリー映画の帰り、
レジの横に平積みにされてたのが目に入り、思わず購入してしまった本。
あの、最後の泣いてるのお父さんのエンドロール見た後に、これを素通りして帰ったら人間じゃないと思ってしまいました。
出た、私のまじめアンテナ。
ちなみに、このときレジをしてくれたのが、この本を翻訳した人で……
いくら出版社直営の本屋さんだからと言っても、その世間の狭さは……
きっと、日本の韓国出版界は両手で数えきれるくらいの人たちで回ってるんだろうと実感しました。
映画の興奮も落ち着いた、暇な月曜日(学生の特権)に
ダラダラ読みました。
カミュ『ペスト』からプロローグが始まり、
おっとおっと?と
筆者は韓国の経済学社で、コテコテの政治批判が始まると思ってた私はあっけにとられました。
文学的な、始まり、ですね。
しかし、フィクションというところから距離を置いて見ないと、韓国人としてこの事件を論じれないという、筆者の心の状態から
それほどまでに、この事件は韓国国民にとって、『自分のこと』だったということが伝わってきました。
セウォル号沈没事故を、韓国人の筆者が冷静に論じるということは、
病に侵された体で、自分の腹を切り、己の腐った内臓を、1つ1つ取り出してばらばらにしては、
他人に原因となる恥ずかしい過去の行いを最初から丁寧に暴露していかなければならないような
そんな辛い作業だったんだと
読み終わった後に、感じました。
当時の私と同世代だった高校生が、冷たい海に沈んでいったのが、2014年の4月。
この本が韓国で出版されたのが、
2014年10月のこと。
この2年後、韓国は蝕まれた体に鞭を打ち、荒療治を始めるわけですが、
治療はまだおそらく終わっていないでしょう。
12月のデモに行ったと、韓国文学の私の先生が行ってきたのを聞き、
あ、韓国は今、歴史が動いてるんだな。と実感したのを覚えています。
この本のエピローグは、三・一独立運動以来社会が動くときに使われてきた韓国の『合言葉』を用いて、著者の思いが綴られています。
教育の大切さも語られていますが、作者のメッセージを一言で言えば、
『韓国国民よ、立ち上がれ』ということ。
たぶん、同じことを日本国民に言ってた本なら、
『ハハッ』
と笑って、ページを閉じてたはず。
でも、この後、実際に立ち上がっちゃって、光化門広場に集まっちゃって、
実際に、もう、自分で自分の手術を始めちゃった。
腐った内臓を取り出そうとしてる。
それが、今の韓国だとしたら。
もちろん、この本は、感情論でこの事件を論じているわけではありません。
なぜ、高校生が死ななければならなかったのか、
そこから見える、政治と社会の腐りを
データを示しつつ、根拠を元に、論じられている。
でも、それ以上に、『この社会を変えなきゃならない』という
著者の熱い思いが伝わってきました。
正直言って、泣ける。
新書で泣けるなんて、おかしな話です。
青い炎がぐるぐると回り続けている、
そんな隣国の話を数字と記録から聞いた
月曜日の午後でした。