20歳と38度線

朝鮮半島に関心のある大学生の日常。

戦争を知らない私が知らない日本語

38度線平和活動には、地元のおばあさんたちの白髪染めというユニークな活動もある。

 

美容院に行くのも一苦労、自分で髪を染めるのは腕が回らなくてもっと大変、

 

でも、綺麗な髪でいたいというおばあさんたちのために、

 

学生たちが無料で白髪を染めてあげるボランティア活動だ。

 

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今回は白髪染めだけではなく、ネイルまでサービスし、

 

「こんなに綺麗になってどうしようかね〜〜」

 

と言って、ルンルンで帰っていく人がほとんどだった。

 

 

私も、地元の人たちとおしゃべりをしながら楽しく時間を過ごすはずだったが、その後も一日中複雑な気持ちになったのは、

 

 

聞き覚えのあるような、ないような、日本語を聞いてしまったからだった。

 

 

 

 

私を含めて日本学生二人、韓国学生一人の3人1組で、あるおばあさんの髪に染料をブラシで塗っていた。

 

おばあさんたちの話す韓国語は方言で、聞き取りずらかったため、

 

 

韓国人学生とおばあさんが楽しく今クールのドラマについて「あれがよかった」とか「あれは面白くなかった」と会話する横で、

 

 

言葉がわからない分、早く終わらせようと私は作業に集中していた。

 

 

 

 

するとある時突然、

「日本の学生もいるのよね?」

とおばあさんが韓国学生に聞き、

 

 

「はい、横にいる人たちがそうですよ」と韓国学生が答えた。

 

 

「ちょっと聞きたいことがあるのよ、日本の学生に。」「昔、学校で習った日本語の意味を知りたくて」とおばあさんが言うので、

 

 

 

「はい、なんでしょう?」と私は返した。

 

 

 

 

横にいた日本チームの友人とともにおばあさんの言葉に耳を傾けた。

 

 

 

 

次の瞬間、堰を切ったように言葉は流れ出て、

 

 

特徴的な語り口から、一瞬でそれが戦時中のものだとわかった。

 

 

 

次から次へと早口に出てくる日本語を、戦後半世紀以上後に生まれた私たちは全く聞き取れなかった。

 

「だいとうわ」が唯一理解できた単語だった。

 

 

全く分からなかったことへのショックと、初めて生で触れた大日本帝国の残骸に日本からきた学生は、言葉を失なってしまった。

 

 二人は戸惑いを隠しきれず、

 

「それは、昔の日本語で、私たちも正確にはわからないんですけどそれは……」と

たどたどしく日本語で答えた。

 

韓国人の学生も翻訳しきれずに、困っていると、

 

「まあ、わからないならいいわ」と

 

おばあさんは他のことに話題を変えてしまった。

 

 

 

 

 あとでこのことを振り返りながら、惜しいことをした、と思った。

 

もっと、当時のことを聞いておけばよかったと思った。

 

もう2度とこんな機会には恵まれないだろうと思った。

 

 

 

 

悔しがった次に、私は想像してみた。

 

 

 意味がわからないのに、あんなに長い文章を覚えさせられた教室を、想像してみた。

 

母国語が使えない朝鮮の学校を想像してみた。

 

 

私たちが知らない”日本”を想像してみた。  

 

 

おばあさんは、あの時、どんな気持ちで私たちに、質問したのだろうか。

 

 

彼女にとって、日本と聞いて一番に思い出したのが”日本”なら、

 

 

私たちは、その日本に私たちの記憶を重ねることに今回失敗したのだろう。

 

 

そのこともまた悔しかった。

 

 

 

 

私の知らない日本語は、硬くて鋭くて、胸に刺さってなかなか抜けない。

 

おばあさんの声色をしたその日本語は、きっと一生抜けることはないだろう。

 

その破片は思い出すたびに私の心臓の血の流れを乱し続ける。