20歳と38度線

K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島について書いています。

5月18日に光州を歩く。

 一年前の5月18日、私は光州にいた。朝9時にソウルのヨンサン駅を出発してKTXに乗り、わずか90分で光州広域市に着いた。大学一年生の時からずっと来たかった場所だ。空が死者を悼んでいるのか、駅を出ると雨がしとしと降っていた。

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光州ソンジョン駅

 光州は、悲しい歴史が刻まれた場所である。1980年の5月18日、ここで光州事件が起こった。軍事政権下で民主化を求めた学生や市民たちが、自国の軍によって数多く殺されたのだ。腐敗した政治の下では堂々と人が殺されることを、私は大学一年生の夏にこの事件を通して学んだ。ただのKpopオタクだった私に民主主義とは何かを教えてくれたのもこの光州だ。その後、韓国の国民は光州事件の悔しさをバネに、民主化の道を進んでゆく。光州事件は、光州民主化抗争、光州民主化運動とも言われている。光州は血が流れた場所ではあるが、希望が始まった場所でもあるのだ。

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旧全南道庁

 光州事件を知ってから、私は光州というワードに対してかなり敏感になった。事件を知った衝撃はすさまじく、光州事件が題材の映画が公開されたら迷わず映画館に走ったし、過去の作品は図書館やネットで探して読んだ。光州事件は、韓国でかなり大きな歴史的事件として扱われているので、過去何度も作品の題材になっている。私が知っているだけでも、映画なら「ペパーミントキャンディー(原題:박하사탕)」、「光州5・18(原題:화려한휴가(華麗なる休暇)」「26年」があり、最近ではソン・ガンホ主演の「タクシー運転手」が話題を集めた。光州事件を描いた作品の中で私が特に好きなのは、ハン・ガンの小説『少年が来る』だ。日本語訳書籍の帯に書かれた「魂の鎮魂歌」という言葉のように、静かに心に響いてくる名作だ。フィクションに限らず、ドキュメンタリー作品ともなると、光州事件の関連作品は底なしに出てくる。それらを繰り返し見ていた私は、ガイドツアー中不思議な感覚に襲われた。

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道庁広場の当時の様子

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道庁の窓からの眺め

 午後2時からボランティア団体が行っているガイドツアーに参加し、5.18民主化広場周辺の施設を回った。初めてその感覚に陥ったのは、最後の銃撃戦の場所となった旧全南道庁の窓から広場を眺めていた時だった。「ここから銃を構えてじっと敵が来るのを待ってたんだ、、、」と、道庁の階段を上るときには「最後、ここを降りて逃げたんだよな、、、」と、隣にある武道館を見たときは「あぁ、あそこに死体を並べて、あの少年は死体を数えていたんだな、、、」と、まるで自分の中にある記憶をたどっているような、不思議な感覚だった。ガイドツアーの間中、現在と過去を行ったり来たりしているようで、まるで時間旅行をしている気分だった。

 

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広場に続く大通り

 一通り広場周辺を見学をし終え、記録館に移動するときも同じだった。大通りのステージでは、国に対して事件の記録をきちんと保管するよう要請する集会が開かれていて、それと同時に、大通りを練り歩く労働者のデモも行われていた。人々の叫び声や大音量の音楽が辺りに鳴り響いており、その喧騒の中で、各団体が出展する露店がずらっと並んでいた。

 移動中にガイドさんが「少し寄り道をしましょう」と言って、ある露店に立ち寄った。そこでは女性たちが手製のおにぎりを配っていた。簡単に丸く握ってのりで巻いただけのシンプルなおにぎりだ。「毎年、こうやっておにぎりを配るんです」とガイドさんがそっと教えてくれた。そして、その瞬間、目の前の光景が「タクシー運転手」のワンシーンと重なった。理不尽な軍部からの弾圧で、子供を、父を、母を亡くした人たちが、戦う者のために食べ物を分け与える姿だ。慣れた足取りで歩くガイドさんに必死でついていきながら、泣きそうな顔で私はおにぎりとたくあんを頬張った。喧騒とおにぎりが他人の記憶のフラッシュバックを起こさせたような、妙な感覚だった。

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涙をこらえて食べたおにぎり

 光州は、芸術の街でもある。あらゆるところにおしゃれなカフェや雑貨屋さんがたくさんあり、個展の看板もよく見かけた。

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ふらっと入った個展

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おしゃれなチョコパイ屋

 

 旧道庁の裏には美術館や劇場が集まっており、すべてを合わせて国立アジア文化殿堂と呼ばれている。光州事件についての博物館もこの中に入っており、芸術家が作った視覚や聴覚に訴える作品が、事件資料と共に展示されていた。

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オブジェ

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祈りのオブジェとアジア文化殿堂

 道庁と広場を歩き回り、疲れが全身に回ってきた頃、ガイドさんが気を利かせて無料のコーヒー展覧会に案内してくれた。モダンな作りの美術館でドリップコーヒーを飲みながら、ガイドさんは少し自分の話をしてくれた。

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展覧会

 彼女は光州事件の時、中学生だったそうだ。実際に運動に参加していたわけではないが、当時のことはよく覚えていた。そして、大人になってガイドボランティアのことを知り、多くの人に光州で起こったことを知ってほしいと活動に参加するようになったそうだ。

 今回私がガイドをお願いしたのは、光州都市旅行庁の「五月の道」という団体だ。光州には無料で歴史ガイドを行ってくれるボランティア団体がいくつかある。団体の予約が優先されるため、もともとは他の団体に混ざって話を聞く予定だったが、団体予約がキャンセルになったとのことで、なんと私と友人たちの四人に一人のガイドさんがつくことになった。質問もできたし、優しく解説してくださったのでとてもありがたかった。「五月の道」は日本語のガイドも行っているそうなので、ぜひ光州に行くときは利用してみてほしい。

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博物館のオブジェ

 それまで、きれいな博物館が建てられていてすごいなと感心していた私だったが、ガイドさんによると全く良くないらしい。前の朴槿恵政権の時に、光州事件の中心地だった旧道庁がリモデリングされ、実際の銃撃戦の跡もすべて消されてしまったそうだ。正しく歴史が保存されていないと彼女は憤っていた。自分たちのこととして話す彼女を見ながら、私は事件がそう遠くない過去に起こったことなのだと気づかされた。歴史の教科書で事件を習った私は全く実感がなかったが、確かに光州事件の歴史の証人たちはまだまだ現役なのだ。

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日本語で刻まれた石碑

 ガイドさんと別れて、ゲストハウスに荷物を置いた後、友人たちと夜景を見に行った。戒厳令が敷かれてた40年前は、きっと辺り一面真っ暗だっただろう。しかし、私たちの目の前には当時とは全く違う、地方都市光州の姿があった。繁華街のネオンが遠くに見え、立ち並ぶ高層マンションに明かりがたくさんついていた。きれいだ、と素直に思った。満月の光にも負けない力強い光だった。

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光州の夜景と月

  夜景を見に行った帰り道、静まった錦南路に立ち寄った。昼にデモや集まりが行われていた光州のメインストリートだ。週末の交通規制のため車の往来はなく、オフィス街に当たるので、夜は人通りもまばらだった。まるで、街を一人占めしたような解放感に、私たちは思い思いに記念写真を撮り始めた。 

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たぶん、当時もこうやっていたはず

  今振り返ると、大学一年生のときから始まった光州事件に対する特別な感情は、ある種の憧れだったのだろうと思う。当時から短くない時間が流れ、だんだん自分の中で整理がついてきた。抑圧の中で懸命にあがき、現実に対抗しようとした人々の姿が、当時の失望感でいっぱいだった自分の心とリンクしたのだろう。つぶされてもつぶされても必死に立ち上がろうとする姿に、私もこうありたいと強く胸を打たれたのだと思う。光州事件を知って4年後。時間はかかったが、韓国留学をして、実際に光州の土を踏むことができた。地面に踏ん張った足のたくましさが、40年前の彼らに少しでも近づいていればと、この文章を書きながら願うのである。

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夜まで行われていた集まり

  静かな錦南路をまっすぐ歩いていくと、最後の交差点で若者たちが歌を歌っていた。しばらく聞き入っていたが、明日の朝も早いことを思い出し、ゲストハウスに戻ることにした。夜の光州に響き渡る自由の歌を聞きながら、私たちは来た道を戻っていった。

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広場の時計塔

 歴史の場所を訪れると、二ついいことがある。歴史が今とつながっている現実だったことを実感できる。そして、過去としての歴史に自分なりの1ページを重ねることができる。多くの市民の血が流れた道庁前は、市民の憩いの場になり、私の中で光州は悲しい歴史の場所ではなく、おしゃれな地方都市に変わった。

 しかし、変わらないものもある。光州の人々が抱えた歴史の痛みと、人の死の重さだ。広場にある時計塔が、あの時と変わらぬ単位で一分一秒を刻んでいるように、おそらくそれらはこれからも変わらないだろう。きっと、変わらせてはいけない、そう思っているから、毎年5月18日に光州の人々は広場に集まるのだ。

 

 明日は、自由公園と5・18民主墓地に行く。ガールズトークもほどほどにして、私たちは眠りについた。