20歳と38度線

朝鮮半島に関心のある大学生の日常。

失恋と平昌

平和の祭典が終わり、

 

バイトのおかげで平昌と共に駆け抜けた17日間を、

 

0時を回りながら揺られた電車の中で考えました。

 

政治的と批判されながら開幕した開会式と、

 

振られた統一旗の数と、

 

選手たちと私たちが流した感動の涙。

 

言いたい小言はいくつかあるけれど、

 

私はこの大会を

 

平和の祭典を”戦争中”の国で行えたという奇跡として、

 

胸の中に刻んでおこうと思います。

 

 

 

一人パソコンに向かいながら缶チューハイを飲んでいる私。

 

ふっと思い出して、パソコンを開きました。

 

平和、を考え始めた昨年の夏に

 

活動報告書として書いた文章があります。

 

38度線に行って、こんなことを考えました、こんなことを学びました、って書かなきゃだめなのに、

 

いろいろ勢い余ってはみ出てる、かっこ悪い文章です。

 

でも、平和って多分きっとそんなもの。

 

 

かっこ悪くて、現実からはみ出ているもの。

 

そして、多分、私が愛してやまないものなんでしょうね。

 

あの10日間と同様、この17日間も振り返ってもいい思い出ばかり出てくるんですから。

----------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

失恋〜ピースツアー2017に寄せて〜

 

  

その出会いは、ほとんど失恋でした。

 

愛しさと悔しさで半分半分の私が、

 

たった二時間、飛行機に乗っただけで、平和な日本に帰ってこられるのが、不思議でたまりませんでした。

 

あれは夢だったのか、現実だったのか。

 

 でもたしかに、雑な洗濯でヨレたTシャツも、

 

携帯の画面を埋め尽くす田舎の風景も、

 

最後がやけに鼻にかかった発音で呼ばれる私の名前の記憶も、

 

確実に、私が38度線から持って帰ってきたものの中にあるのです。

 

 

私は、このツアーで、平和を純粋に信じる心を失いました。

 

私が当たり前に過ごしてたはずの「平和」はハッタリであったのです。

 

私は、このツアーで、平和というものは、どこにでもあり、どこにもないものだということを知りました。

 

私たちの暮らす毎日に、火薬の残り香や、鮮やかな血がないだけで、

 

それが真の平和と呼べるのか、確かではありません。

 

しかし、一方でツアー中、地雷が埋まった山を背に子どもたちが校庭で遊んでいる姿を穏やかに感じることもありました。

 

民間人統制区域で育てた野菜は、1週間、私たちの命になりましたし、

 

私の韓国人の友達も、数年前38度線を守っていたことをインスタグラムで知らせてくれました。

 

 

 

私のスマホの中に夕焼けに染まる空とカメラの前を横切った原付バイクを収めた写真があります。

 

ドチャンリに到着した日に撮ったものです。

 

「アジアの田舎はどこもいっしょだな」と思いながら、シャッターを切りましたし、

  

今見てもそう思います。「これが私の地元だ」と言っても、

 

ベトナムの田舎だ」と言っても、

 

多分どちらも信じるでしょう。

 

そのあとの宿舎の周りを散歩した時も、同じ感想を持ちました。

 

ここの人たちも私たちと同じく各々“暮らして”いるのだと。

 

いつかの「懐かしい」に似た感情でした。

 

大学に歩いて通う今日の私が子猫をみて、

 

実家の猫を思い出すのとほとんど一緒だったのです。

 

 

 

もちろん、初めて経験したことや初めて知ったことも、沢山あります。

 

ゲートをくぐる時、軍人に止められたこと、

 

武装地帯には大自然が広がっていたこと、

 

その向こうの北朝鮮にも青々とした草原が広がっていたこと。

 

奇妙なクッションに座りながら農作業をしたこと。

 

ケーキの上に乗っていない生のブルーベリーを食べたこと、

 

ビビンバの具はなんでもありで、

 

田舎の小学生でも今はみんなスマホを持っていること。

 

意外と私、韓国語しゃべれたこと。

 

 

 

音楽の先生をしたのも、初めてでした。

 

ギターが弾けるから、と音楽教室でギターを教えることになりました。

 

当日まで段取りがよくわからなくて、

 

事前の打ち合わせの時は苛立つこともありました。

 

「子ども嫌いなのに。めんどくさいことを引き受けてしまった」

 

と内心思っていました。

 

でも、違いました。

 

始めてみると、子ども達はギターに興味津々で、

 

私の片言の韓国語に耳を傾けてくれました。

 

「音楽は国境を越える」

 

なんて無知なギター少年のようなことを私はもう言えないけれど、

 

人と人を繋げるくらいはできるんじゃないかと、

 

先日まで音楽に絶望していた私がまたそう思えたのです。

 

 

2年前、私は音楽を作るのが楽しくて仕方ありませんでした。

 

それはほとんど初めての両思いのようなもので、17歳の熱を帯びていました。

 

しかし、全ての恋はいずれ終わりを迎えます。

 

3年後、音楽が語れるものの限界を感じて、私はあれほど大事に抱えていたはずの、

 

でももう何も詰まっていない空っぽのギターを下ろしました。

 

 

そして、その2年後、分断を象徴するかのような土地で、

 

私は音楽に再会しました。

 

超えられない壁を感じたはずの音楽で、新しい人と繋がりました。

 

村で過ごした一分一秒が愛おしく、今では失敗さえ微笑ましく感じます。

 

しかし、時間というものは残酷に過ぎていき、

 

音楽と私がそうであったように、

 

形だけの別れであってもそれは確実にやってくるのです。

 

  

失恋は、別れだけが、悲しいのではありません。

 

その人のことをもうそれ以上知ることができないという

 

揺るぎない事実が含まれているから悲しい、というよりむしろ悔しいのです。

 

38度線は、確かな事実として半島を分断し、超えられない壁として存在しています。

  

そして、38度線から韓国を超え、私が暮らす国は分断に甘んじて、壁を壊そうとも、越えようともしません。

 

私たちが、北朝鮮の話を聞く時、それは恐ろしい共産主義国以外はなく、

 

例えば、壁の向こうに住んでいるソンミという女の子が

 

今日何を食べたか、何を食べたかったかというささやかな事実は、

 

到底知ることができないことなのです。

 

事実をそれ以上知れないということは、

 

失恋が多くの恋人たちに与えたように、

 

私たちに無力を与えます。

 

国がこんなに近く、戦争がこんなに近くにあったのに、知らなかったことが悔しい、

 

と同時に、知ることを拒まれた私たちは、もう彼らに別れを告げるほかに、方法はないのでしょうか?

 

 

 

愛や多くの人生は絶望と希望という曖昧なもの繰り返しでできています。

 

そして、私たちが生きる普遍的なはずの世界もその繰り返しなのだと思います。

 

平和があるという希望と戦争があるという絶望。

戦争がないという希望と平和がないという絶望。

 

あいまいなものが繰り返される世界で、私たちは出会いと別れを繰り返します。

 

平和と戦争と違って出会いと別れは私たち一人一人が選択し、行動するものです。

 

私が、この10日間で選択した出会いと別れ、そして抱えた愛と悔しさを胸に

 

次にどの出会いを選択するのか、今ドキドキしています。

 

私は、「選択しない」という選択肢を38度線に捨ててきました。

 

あの境界線が消えた時、地雷原が消えた時、スキップしながらその選択肢を拾いに行こうと思います。

 

私たち、東アジアで暮らす人々が真の「平和」ボケを選びたい時に選べるように。

 

 

 

f:id:hyun_nako:20171119023302j:plain