日韓関係の周りをぶらぶらしている私は、よく「慰安婦問題」について意見を聞かれます。
「君はどう思うのか。」
と、みんなまっすぐに聞いてきます。
韓国人に聞かれた時は、私の言葉が「日本人の意見」として、
日本人に聞かれた時は、「韓国通の見解」として扱われることに常に重圧を感じていました。
よく誤解されるのですが、私は「慰安婦問題」についてそれほど詳しくありません。
毎回話題に上がってくるので仕方なく勉強したくらいです。
勉強したと言っても、とりあえず大学で「慰安婦問題」についての授業を一個取っただけです。
授業は、取ってよかったと思います。
もし、慰安婦問題について何も知らないで生きていたら、私は韓国人の前で被害者のおばあさんたちの顔に泥を塗るようなことを口走ってたかもしれない。
知ることで、最悪の事態は免れました。
植民地の人々と女性の人権を無視する「慰安婦」制度については、同じ人間として、女性として、怒りしか湧いてきませんでした。
そして、『「慰安婦」制度を利用するのはいたって普通のことだ』という当時の認識と、
人を虐げ、傷つけることが「当たり前に」なれば、多くの平凡な人が行動に移せてしまうということに私は恐怖を感じました。
しかし、私は慰安婦について少し知った後も、当時の日本軍に怒りと恐怖を感じつつ「慰安婦問題」を避け続けました。
それはなぜか。
私の中で、あまりにも日本人という意識が強すぎるからだと、思っています。
私は18年間、英語を苦手科目とし、外国人のいない田舎で育ち、画一的なテレビを愛し、生きてきました。
言語的にも文化的にも「日本以外」の選択肢がありません。
しかし、70年前私と同じ日本人が、私が許せないことを行っていました。
そのため、いざ「慰安婦問題」と正面と向き合おうとすると、自分の怒りと恐怖が、自分の中にある『日本人』に向けられてしまうのです。
その矛盾に、私は耐えられませんでした。
私ももちろん、矛盾を抱えながら「勇気を出してなにか行動を起こせば変わるのでは?」と考えたことはあります。
でも、「慰安婦問題」を一通り通ってしまい、先人たちの努力が未だ達成されていないことを考えると、
「こんなくよくよ悩んでいる自分なんか」
と考えてしまうのです。
そうやって、しばらく私は「『慰安婦問題』を全く知らない日本人」と「韓国人」に挟まれて、身動きが取れませんでした。
一方で、身動きが取れないことに胸を撫で下ろしている自分もいました。
行動を起こさなければ、「慰安婦問題」を非難する日本人からバッシングを受けることはないからです。
でも、そう思ってしまうことを恥ずかしがる自分も同時に存在しているのです。
おそらく、「慰安婦問題」を今の日本人が真摯に受け止めようとする時、これらの矛盾を多くの日本人が持つことになるでしょう。
それは、ほとんど気持ちいいものではなく、できれば避けたいと思うものです。
この葛藤を避けたいと思うあまり、被害者の人をまた傷つけてしまうかもしれません。
そんなことはないと、事実を否定したくなるかもしれません。
今の日本人は、自分たちが当事者でないために、簡単に謝ることもできるし、簡単に謝れないのです。
そしてなにより、無関心でいることもできるのです。
私が暗にそうしていたように。
私は今日、ある人たちに出会って、その葛藤から降りようと思いました。
「被害者のため」という偽善ではなく、
「日韓友好のため」という理想でもなく、
「ただずっと苦しかった自分」のためだけに、人に会いに行こう、一緒に声をあげに行こう、と思いました。
近いうちに「慰安婦問題」の抗議集会に行ってこようと思います。
春の空のようにころころ変わる私の心が、また雨を降らさないうちに。