20歳と38度線

K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島について書いています。

『少年が来る』ハン・ガン 著  井手俊作 訳

「死のうと思ったんですよね」


まるで、今日の朝食の献立を言うかのように軽く発言した彼に怒りを覚えた私は、


その後別の友達と会い、その場の空気がどれだけ異常だったかを力説したが、それでも腹の中の怒りは収まらなかった。

 

 

家に帰り、机の上に無造作に積み重ねられた本の中から、1冊を引っ張り出し、

 


鼻息荒く、しおりを挟んであるページから読み始めた。

 

 


『少年が来る』ハン・ガン 著  井手俊作 訳

少年が来る (新しい韓国の文学)

少年が来る (新しい韓国の文学)

 

  

私は悪くない、私は間違ってない。

 

 


それを確かめるために、多くの死の記憶が詰まった本を手に取った。

 

 


鼻息を荒くするほどの勢いが、その時あったとしても、

 

 


この本を読むのも、人に対して怒るのもエネルギーが必要で、

 

 

 


その日のうちに本を読み終えることは諦めて、また元の場所の1番上に重ねた。

 

 

 

要するに、私はその時、悔しかったのだ。

 

 

 


命をそんなに、朝ごはんの残りカスのように捨ててしまおうとする彼みたいな人が、私の目の前にいることが、悔しかった。

 

 

 

ぶくぶくと膨れては破れるお風呂の泡も

 

 


その悔しさを洗い流してはくれなかった。

 

 

 

 

 

その後しばらくして風邪をひき、

 

 

 


学校を休んだ後もダラダラとやる気のない毎日を送り、

 

 

2回目の風邪をひきはじめたその日に、

 

 

 

私は涙を流した。

 

 

 

 

布団の中でじっとしているのが暇で、かつまともな思考もストップしていたためか、

 

 

ここ数年の記憶を復習してしまったのだ。

 

 

 

私も世界一不幸だと思った時があったことを思い出し、

 

 

 

 

彼も、たぶん死のうと思った時、そう思ったんだろうな、

 

 

 

 

と私は思うことにした。

 

 

 

 

涙は人間の体が作り出せる唯一の薬のようなもので、

 

 

 

流せば流すほど、頭は冴えて、

 

 


心は落ち着いていった。

 

 

 

 


次の日、朝に起きて、

 

 

3冊、本を読んだ。

 

 

 

 


本は、人間が作り出せる非科学的な薬のようなもので、

 

 

人間が本来持っていたまともな思考力を取り戻してくれる。

 

 

 


奇妙な薬屋の話を読んだ後に、人間の血が染み込んで暖かくなった緑の本の続きを読んだ。

 


最後から2番目の章の途中からで、

 

 


記録に対する記憶の話だった。

 

 

 

人が死にまつわる記憶を語るのには時間が必要で、

 

 

 


緑の本の主人公は、光州民主化抗争の死の記憶を語るのに24年という月日を要した。

 

 

 


そして、あの日私が怒りを覚えた彼は、2年後自分自身の殺人未遂の記憶を語ることができた。

 

 

 


こうして並べると、体力が回復したのもあって

 

 

 

 

また得体の知れない怒りが湧き出てくるけれど、

 

 

 

 

でも、やっぱり、

 

 

 

 

生きててよかったです、あなたが。

 

 

 

と再度、思うことにした。

 

 

 

 

光州民主化抗争の記憶は、何度触れても慣れるものではなくて、

 

 

 


なんがつなんにちに軍が突入して、なんがつなんにちに民衆が蜂起してというのはやっと聞き流せるようにはなったけれども、

 

 

 

 

死んでいった少女の夢や

 

 

 

生き残った人の記憶の底にこびりついた友人の言葉、

 

 

 


息子に、手を引かれ小道を歩いたことが

 

 

 

 

銃声と血と人間の腐る匂いと並べられ、

 

 

 

 

それが当たり前であれば当たり前であるほど、

 

 


胸が締め付けられた。

 

 

 


それらは何度聞いても、慣れるものではない。

 

 

 


そして、何度聞いても、擦り切れるものでもない。

 

 

 


その証拠に、3回目だった今回も、涙をこらえることは出来なかった。

 

 

 

 

 


そして、この本を読んだあとの私もまだ実は怒っている。

 

 

 

 


今思えば、彼から自殺未遂のことを聞く前から怒っていたかもしれない。

 

 

 

 

私も、時々、何に怒っているのか分からなくなる時があるが、

 

 

 


それは何に怒っているのか分からないのではなくて、

 

 

 

 

怒っていることが多すぎると言い換えられることは、風邪を引いた後に気づいたことだ。

 

 

 


しかし、少なくとも光州の人たちはあの時確実に怒ってたわけで、

 

 

 


それだから、悔しくて、諦めれなかったわけで、

 

 

 


自分の大切な何かを守るために、

 

 

 

 


ある人は命を犠牲にまでした。

 

 

 


光州という街の名前が、憎くらしくもあり、

 

 

 

 

しかし、この本のように柔らかな光で

 

 

 


そのまま記憶を照らしていてくれとも思った。

 

 

 

 


病み上がりに読んだ虐殺の記憶がこたえたのか、「怒り」という厄介な病気がぶり返し、

 

 

 

 

風邪のウイルスにかかっていた方が、ずいぶん楽だと思った。

 

 

 

 

小説の事件から40年弱経って、

 

 

しかも海を渡り、

 

 

1つの時代が終わろうとする日本では、

 

 

私が依然、風邪を引いているのか、

 


それとも、世間が、なのか

 


よくわからな、と思った。

 

 

『感染列島』なんていう映画がずいぶん前に流行ったが、

 


私はその映画を最後まで見たことは無い。