2014年に起きたセウォル号沈没事故。
ピースツアーの討論の時間に
『国家による賠償の問題』というテーマで韓国側の例としてあげられたのがこの事件でした。
『事故なのか、事件なのか』という論点で話した時、
日本では『セウォル号沈没事故』という名前で報道されていたので、日本人の私としては
「え?事件なの?」
というくらいの認識でした。
その時討論に参加した韓国人の話によると、韓国では、「事件」という認識が主流のようです。
事件発生後の政府とマスコミの対応があまりにもずさんで、救えた命も救おうとしなかったのが原因らしい。
事件当時を語るその怒りを帯びた言葉が、同世代の私に重くのしかかりました。
セウォル号"事件"は韓国ではここ数年で最も重要な事件の1つという扱い。
そんなことを思い出して
CHEKCCORI(チェッコリ) - ~韓国の本とちょっとしたカフェ~という韓国語専門の本屋さんでセウォル号についてのドキュメンタリー映画を放映すると聞き、
行ってきました。
衝撃。
衝撃。。
衝撃。。。
とにかく上映直後は言葉が見つかりませんでした。
ここからは映画のネタバレです。
映画は、1人の記者が当時の政府の責任者に体当たり取材をしているところから始まります。
その後は、 事件現場の港に張り付き、現地を取材。
行方不明者の家族は避難所同然の体育館で夜を明かし、
政府のズタズタの対応と仕事をしないメディアにもみくちゃにされ、
海洋警察は本当に救助活動を行なっているのか……
現場はこの上ないくらい悲劇的なのにメディアはあたかもみんな力を合わせて頑張っているかのような報道……
救助が進んでいないのを知った民間の救助会社の社長が自費で救助支援に向かいます。
ダイビングベルという長時間水中で作業できる専門の機材を持っている、業界では実績のある有名な会社。
現場に着くと、海洋警察によって民間ダイバーによる救助が止められていることを知り、
交渉するも、断念して一回は引き返します。
しかし、その夜、行方不明者の家族の怒りが爆発し、
社長が港に戻ってくることに。
救助を始めるも、引き続き海洋警察の嫌がらせをうけ、全くうまく行きません。
家族が、社長が1人も救助できなかったと知ると
裏切られたと家族は手のひらを返したように、政府側につき、
最終的に、社長と記者は、捜査を混乱させたとして、遺族に訴えられてしまいます。
あまりにも悲惨でした。
この映画から私が受けたものは、2つです。
衝撃と、
『国家とメディアが結託した時、私たちにできることは何もない』ということ。
ほぼ先進国と思っていた韓国で起きた事件。
政治の腐敗があまりにも直接的に描かれていたため、政府から釜山映画祭では上映中止の圧力がかかりました。
国家というものは、『国家』というだけで、国民に対して強力な力を持つ。
自分たちを巻いている長いものが長くなりすぎた時、私たちは判断力を失い、従うほかなくなる。
唯一国家に対抗できるはずのメディアが、機能しなかった時、
私たちは敗北を受け入れなければならない。
カメラの前で繰り返された事実が雄弁にそう語っていました。
この映画は、片方からしか見ていません。
ドキュメンタリー映画というものは、恣意的な編集が入るのが当たり前で、
最後、エンドロールで遺族が語った『真相究明』には程遠いかもしれません。
しかし、このドキュメンタリー映画でしか語れなかった事実が詰まっていたと、私は思います。
見てよかったと、思った映画でした。
DVD化しないそうなので、
「皆さんもぜひ」と言えないのが惜しいですね。