20歳と38度線

K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島について書いています。

日本が嫌いなタクシーの運転手さん

 

先日、韓国の水原市に日帰り旅行に行った時の話だ。ヒョウォン公園があまりにも綺麗だったので、時間を忘れ写真を撮りまくっていた結果、弓矢体験の時間に遅れそうになった。仕方なくタクシーに乗った。

 

「華城行宮の演武場までお願いします」

 

韓服を着ている私たちを見て、観光客だと分かったのだろう、運転手のおじさんがどこから来たのか尋ねてきた。

 

「ソウルから来ました」

 

「ヒョウォン公園の中国庭園に来たんでしょう?私も最近知ったんだよ。地元の人はそういうのは知らないからね。外から来た人の方がよっぽど詳しいよ」

 

しばらく無駄話をすると、またおじさんが聞いてきた。

 

「あ、君たちどこから来たって言ったっけ?」

 

「ソウルです。でも元々は日本から来ました」

 

「日本?」

 

「はい」

 

在日韓国人とか?」

 

「いいえ、日本人です」

 

「本当の日本人?」

 

「はい、本当の日本人です」

 

「日本人がなんでそんな韓国語うまいの?…………私日本人好きじゃないんだけど……ハハ」

 

「あ、そうなんですか?」

 

「その……私の祖父が武将だったんだけど、壬午軍乱の時に日本人に殺されたんだよ」

 

「あ~虐殺されたんですか?」

 

「いや、戦って死んだ」

 

「あ、そうだったんですね………え、ということは運転手さん何歳ですか?」

 

72だよ(韓国では数え年なので、日本では70歳ということになる)」

 

72?!ということは、朝鮮戦争の時は何歳?」

 

「えっと……朝鮮戦争の時は1歳だったね」

 

「おお……72歳の方が今も働かれてるなんて……

 

おじさんは、祖父の話以外にも一族の財産が奪われたことや、そのせいで大変だったことを話してくれた。

 

「そういう訳で、私は日本人が嫌いなんだよ」

 

「そうだったんですか。なんか、うちの国がすいません。そういうの、理解しますよ、私は」

 

「ありがとう、理解してくれて」

 

そうこうしてるうちに目的地に着いた。おじさんは、サービスで割引にしてくれて、最後にはにかみながら日本語で「ありがとう」と挨拶してくれた。

 

おそらく、車内で黙っておくか日本語で話しておけば、おじさんが私たちに話しかけることはなかっただろう。日本人が嫌いだということを明かすこともなく、同じように最後に「ありがとう」と日本語で挨拶してくれたはずだ。

 

最初、おじさんが「日本が好きじゃない」と言った時は事件の予感がした。韓国に1年間留学しているが、堂々と言ってくる人はこれが初めてだったからだ。しかし、おじさんは自分の話をしてくれた。確かに、自分の祖父を殺した人の国をただの外国とは思えないだろう。その後、自分や家族が苦労したのならなおさらだ。

 

さすがに、タクシー運転手から「日本人が好きじゃない」と告白された時もびっくりはしたが、それよりも、私たちが話に理解を示すとおじさんが「ありがとう」と言ってくれたことにもっと驚いた。そして最後、日本語で挨拶をしてくれた。タクシーを降りた後は、しばらく狐につままれたような感覚だった。

 

短い留学生との会話で、家族の仇の国へのイメージは変わることはないと思う。でも「中にはマシな日本人がいるんだな」とでもおじさんが思ってくれれば、私は嬉しい。

 

もっと目的地が遠かったらよかったのにと弓矢体験の列に並びながら思った。長い歴史を生きた72歳のおじいさんとして、もっと色々な話を聞いてみたかった。

 

弓矢体験はその日最後の回だったので、朝鮮時代に作られた演武場は夕日色に染まりはじめていた。伝統の弓を触るのはこれが初めてだ。弦が強く張っていて、腕の筋力が弱い私はなかなかうまく打てない。もっと遠くに、もっと上に。私は、雲ひとつない空に向かってめいいっぱい弦を引っ張った。横に流れる風よりも強く、傾き始めた太陽よりも高く、もっと、遠くに、飛んでいけ。

 

漆黒の弓から放たれた矢は的をゆうに飛び越え、大きく弧を描いた。

 

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