20歳と38度線

K-popと政治問題だけでは語れない朝鮮半島について書いています。

いつだって”エブエブ”が私を勇気づけた~アジア系セレブに励まされる日々~

 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(略称:エブエブ)アカデミー賞を取った。しかも、7冠。候補作の中でぶっちぎっていた。初めて受賞の知らせを聞いた時、あまりの嬉しさに、ギャー――――と叫びながら家を飛び出して(普段はそんなことはやらないので)危うくマルチバースとリンクしそうになった。

やったぞ!やった!

予告編を見た時から、早く見たかった"エブエブ"。多くのアジア人が見たかった、同じ人種の俳優・監督たちがトロフィーを手にする姿。私たちはやってのけたのである。

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 アカデミー賞を受賞する俳優や作品の人種の偏りは以前から指摘されていた。そんな中、2020年に宇宙人の様に襲来したのか『パラサイト 半地下の家族』だった。でも、これはアメリカから見れば"純外国製の映画"。どことなくお客様感があって、アカデミー賞を「ローカル」と言い放ったポン・ジュノ監督とアメリカの大衆との出会いは、まさに未知との遭遇という感じだった。

 私は、小学生の頃から親の影響でよく映画を見ていた。中学生になると、映画監督を夢見るようになった。自分で映画の脚本を書くようになり、高校生の頃はTUTAYAに自転車を走らせては毎週末浴びるように映画を見た。友人が話す映画の話は、大概答えられた。
 そんな当時の私にとって、ハリウッドは華やかなエンターテインメントのイメージしかなかった。今思えば、前に”白人の”とつけるべきだと思うが。アメリカに行ったことのないちび子は(ちなみに今でもない)、登場人物たちの人種構成が現実を反映していないなんて知る由もなかった。大量のラブコメを見ながら、「これがアメリカか~。」と無自覚にせっせとステレオタイプを己に刷り込んでいたのだ。

 だから、アメリカのテレビドラマ『Glee』でアジア系のティナのストーリーがエピソードに盛り込まれた時、衝撃を受けたのである。それまで、アジア系の見た目をしていた人々は、公園で太極拳をしていたり、クラスメイトとして溶け込んでいただけで、セリフは一言二言だった。主人公に何かきかっかけを与えるだけの、モブ扱いだったのである。

 『Glee』は今見でも時々見る。14年前に放送されたとは思えない非常に先進的なドラマで、多様性や人権感覚は日本ドラマの30年は先を行っていると感じている。

 『Glee』を知って以来、欧米のドラマや映画を見ている時にアジア系の出演者に目が行くようになった。時代が進むにつれて少しずつ役の幅が広がってきたものの、ほとんどが主演ではなかった。しかし、「アメリカは多民族国家」と字面でしか覚えていなかった私は、「アジア系はきっと数が少ないんだろうな」とか「だから主演にならないんだろうな」と思考停止に陥っていた。アメリカにアジア人差別があることは風の噂で聞いたことがある程度で、当事者意識は0であった。当時の演出家気取りの私にとって、あくまで映画は"面白いか"、"面白くないか"であり、アジア人よりも"日本人"という意識が強かったせいで、画面に映る俳優が皆同じ人種でも特に違和感を抱かなかったのである。

 大学に入り、友人に外国人が増えてからは、かなり意識が変わった。所属メンバーの9割が留学生か外国にルーツを持つ学生という超多多様性サークルに籍を置くことになり、気づけば周りにはアジア系の友人が増えていた。恋人も韓国人で、親友は台湾人だったので、日本人という既存のアイデンティティを維持しながら、だんだんと自分のことをアジア人(特に東北アジア人)と思うようになっていった。

 2020年、コロナウィルスが世界で猛威を振るい、多くの人々が動画有料サービスへの入会を余儀なくされた時、私もNetflixに入った。そして、ララ・ジーンに出会ったのである。映画『好きだった君へのラブレター』の彼女である。


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 それまで見てきたラブコメの主人公は白人の専売特許かと思うくらい、白人が圧倒的に多かった。だから、韓国系アメリカ人が主人公だったことに私は衝撃を受けたのだ。冒頭の10分を見ただけで、"ララ・ジーンは私だ"と感じた。彼女と私は、国籍も年齢も、家族構成も好きな人のタイプも違ったけれど、今までのどのハリウッド・ラブコメよりも親近感が湧いた。ただ、見た目が一番私に似ていたということだけで、心が震えたのだ。まるで、実写版アリエルのキャストを初めてみた女の子たちの様に。

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 それからは、アジア系が主人公の映画を漁って見るようになった。『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』『シャンチ―』『私ときどきレッサーパンダ 』『クレイジー・リッチ』などだ。

 私がアメリカのスタンドアップコメディを見るようになったも、アジア系のセレブ達のおかげだ。スタンドアップコメディは、ひとり語りで観客を笑わせるタイプのコメディーショーで、アメリカ社会への理解やその中で培われた感覚がかなり必要になる。昔、ちらっと見たことがあるがあまりハマらなかっため、私には難しいだろうと思い込んでいた。
 しかし、長いコロナ禍の中で私はジミー・O・ヤンに出会ってしまったのだ。勉強を強いるアジア系の家庭事情をあるあるネタにし、マイノリティーの逆境をシニカルな笑いに変えていた。そのパワーはとんでもなかった。アジア系は心置きなく笑えるのに、マジョリティの白人は少し困ってしまう。そんな芸風にドハマりした。それからは、アリー・ウォン、ジョエル・キム・ブースターと芋づる式にお気に入りスターを探していったのだ。

 大きな会場を満員にし、笑わせる景色は、同じアジア人としてとても頼もしかった。差別の土台がある社会に生まれ、その中で育ち、いくつもの逆境の中でスターへと上り詰めた彼らの、したたかな力強さがまぶしかった。BTS、パラサイトが世界を席巻した時とは、また違う勇気を与えられた。彼らは「外圧ではない、社会の内側からでも差別に風穴を抜けられるという勇気」を私にくれたのである。

 エブエブで主人公を演じた中華系マレーシア人のミシェル・ヨーは、主演女優賞の受賞スピーチでこう語った。

「私のような見た目をした男の子たち、女の子たち」

「これは、みなさんの希望の証、夢は実現するという証です。」

女、若者、年寄り、人種、様々な差別が見えて閉塞感の続く現実に絶望しそうなとき、ミシェルたちがいるおかげで"立ち上がる"ことを恐れないでいようと思えるのである。