20歳と38度線

朝鮮半島に関心のある大学生の日常。

戦争を知らない私が知らない日本語

38度線平和活動には、地元のおばあさんたちの白髪染めというユニークな活動もある。

 

美容院に行くのも一苦労、自分で髪を染めるのは腕が回らなくてもっと大変、

 

でも、綺麗な髪でいたいというおばあさんたちのために、

 

学生たちが無料で白髪を染めてあげるボランティア活動だ。

 

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今回は白髪染めだけではなく、ネイルまでサービスし、

 

「こんなに綺麗になってどうしようかね〜〜」

 

と言って、ルンルンで帰っていく人がほとんどだった。

 

 

私も、地元の人たちとおしゃべりをしながら楽しく時間を過ごすはずだったが、その後も一日中複雑な気持ちになったのは、

 

 

聞き覚えのあるような、ないような、日本語を聞いてしまったからだった。

 

 

 

 

私を含めて日本学生二人、韓国学生一人の3人1組で、あるおばあさんの髪に染料をブラシで塗っていた。

 

おばあさんたちの話す韓国語は方言で、聞き取りずらかったため、

 

 

韓国人学生とおばあさんが楽しく今クールのドラマについて「あれがよかった」とか「あれは面白くなかった」と会話する横で、

 

 

言葉がわからない分、早く終わらせようと私は作業に集中していた。

 

 

 

 

するとある時突然、

「日本の学生もいるのよね?」

とおばあさんが韓国学生に聞き、

 

 

「はい、横にいる人たちがそうですよ」と韓国学生が答えた。

 

 

「ちょっと聞きたいことがあるのよ、日本の学生に。」「昔、学校で習った日本語の意味を知りたくて」とおばあさんが言うので、

 

 

 

「はい、なんでしょう?」と私は返した。

 

 

 

 

横にいた日本チームの友人とともにおばあさんの言葉に耳を傾けた。

 

 

 

 

次の瞬間、堰を切ったように言葉は流れ出て、

 

 

特徴的な語り口から、一瞬でそれが戦時中のものだとわかった。

 

 

 

次から次へと早口に出てくる日本語を、戦後半世紀以上後に生まれた私たちは全く聞き取れなかった。

 

「だいとうわ」が唯一理解できた単語だった。

 

 

全く分からなかったことへのショックと、初めて生で触れた大日本帝国の残骸に日本からきた学生は、言葉を失なってしまった。

 

 二人は戸惑いを隠しきれず、

 

「それは、昔の日本語で、私たちも正確にはわからないんですけどそれは……」と

たどたどしく日本語で答えた。

 

韓国人の学生も翻訳しきれずに、困っていると、

 

「まあ、わからないならいいわ」と

 

おばあさんは他のことに話題を変えてしまった。

 

 

 

 

 あとでこのことを振り返りながら、惜しいことをした、と思った。

 

もっと、当時のことを聞いておけばよかったと思った。

 

もう2度とこんな機会には恵まれないだろうと思った。

 

 

 

 

悔しがった次に、私は想像してみた。

 

 

 意味がわからないのに、あんなに長い文章を覚えさせられた教室を、想像してみた。

 

母国語が使えない朝鮮の学校を想像してみた。

 

 

私たちが知らない”日本”を想像してみた。  

 

 

おばあさんは、あの時、どんな気持ちで私たちに、質問したのだろうか。

 

 

彼女にとって、日本と聞いて一番に思い出したのが”日本”なら、

 

 

私たちは、その日本に私たちの記憶を重ねることに今回失敗したのだろう。

 

 

そのこともまた悔しかった。

 

 

 

 

私の知らない日本語は、硬くて鋭くて、胸に刺さってなかなか抜けない。

 

おばあさんの声色をしたその日本語は、きっと一生抜けることはないだろう。

 

その破片は思い出すたびに私の心臓の血の流れを乱し続ける。

38度線の書き方と農業

ニッコリの38度線平和活動のときの話です。

 

私は、村で生活する7日間のうち、2回農業活動に参加しました。

 

1日目はトマト畑で剪定作業、

 

2日目はブルーベリー畑で雑草抜きをしました。

 

 

北朝鮮との軍事境界線沿いの畑で行うので、

 

毎回韓国軍の検問を通って民間人統制区域に入ります。

 

 

畑を背景に軍人が銃を持つ光景は、7日間いてもさすがに慣れませんでした。

 

 

 

1日目、畑に到着するやいなや通されたトマトのビニルハウスが

 

 

 

想像よりはるかに大きくて、

 

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本格的すぎて、

 

 

整備されすぎていて、

 

 

私は戸惑いました。(ベルトコンベアまであった) 

 

 

38度線沿いの農村と言われると、

 

 

極貧農村を思い浮かべていたからです。

 

 

 

プロパガンダというものは怖いものだなとつくづく思いました。

 

 

 

立派なハウスに感心していると、 

 

 

 

「こっちにきて」とおばさんに外に連れていかれ

 

 

中くらいのハウスの作業をたのまれました。(ちょっと残念)

 

 

私は、気持ちを切りかえて剪定バサミと軍手を装備し、戦闘体制に入ります。

 

 

実家が農家の私は、農作業歴=年齢なので

 

 

トマトの剪定など朝飯前の前。

 

 

前半は、ちょいちょい同じ班の友達と話しながら楽しく作業していましたが、

 

 

 話すこともなくなった後半は無心で手を動かしました。

 

 

 お尻につけるクッション椅子(ものすごく便利)のアシストもあり、
 

 

私の作業スピードは友人の3倍の速さ。

 

 

友達がひと畝の半分まできたころ、

 

 

私はひと畝終わっておりかえし、隣の畝を逆側から攻めて、友達を迎えに行くくらいでした。

 

 

いつかの陣取りゲームのように躍起になって頑張って、

 

 

ここが38度線であることは忘れていました。

 

 

 

 

 

農作業2日目、朝早く私たちを迎えに来たのは、地雷被害者の農家さんでした。

 

 

38度線付近は、村があり、人も住んでいますが、朝鮮戦争時の地雷が残る地雷原でもあります。

 

 

地雷原と居住区域は一応分けられていますが、

 

 

まだ地雷が見つかっていない場所であったり、

 

 

雨水が地下を流れるのと一緒に地中を地雷が移動したりして、

 

 

民間の方が地雷の被害にあうこともあります。

 

 

 

 

 数十年前、その地雷によって体が不自由になった農家さんと私たちは、

 

 

地雷が埋まっている山を背に、

 

 

兵士が埋まっているかもしれない山を背に、

 

 

楽しく話しながらブルーベリー畑の草抜きをしました。

 

 

 

作業が終わった直後、大粒の雨が降ってきて、農家さんの家で雨宿りをしました。

 

その時に、畑でとれたブルーベリーや甘くて大きなスイカをご馳走になり、

 

このまま雨が続けばいいのになとも思いました。

 

  

実際はそんなわけにもいかないので、農家さんに宿舎までトラックで送り届けてもらったのですが。

 

 

 

 

宿舎への道の途中、助手席に座る私に農家さんがこう言いました。

 

 

「この川は、北から流れてきてるんだ」

 

 

当たり前のように、さらっと流れ出た言葉に、何も感情はこもっていませんでした。

 

 

 

 

人間が引いた一本の線で、自然は何も変わりません。

 

雨水一粒が線のどちら側に降ろうが、川は流れ、土は流れ、

 

その水は海へと流れ込みます。

 

 

 

 一本の線で変わるのは、私たちの世界です。

 

 

65年前に引かれた一本の線で、

 

今も

 

半島が、

 

警備兵の体が、

 

農家さんの体が、

 

二つに別れています。

 

 

 

おそらく元には戻らないこれらの分断線は

 

 

線を引いた私たちしか消すことができません。

 

 

この分断線を国境にすることも私たちにしかできません。

 

 

38度線をどのような線にするのか。

 

 

次にどんな線を書くのか。

 

 

その選択は、ペンを握る私たちにしかできないことなのです。

 

 

 

 

 

銃と軍人

38度線ピースツアー2日目の朝はとても早かった。

 

農業活動担当者は6時50分に宿舎の前集合だったので、

 

6時に起きて、初日なので一応メイクをし、

 

台所に行って朝ごはんのコーンフレークを食べた。

 

時差はないのに、東京よりかなり西にあるドチャンリでは

 

 

寝ぼけてご飯を食べているころにちょうど朝日が登ってきた。

 

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ノンファル(韓国語で農業活動の略)と称して私たちがやるのは、村の農家さんたちのお手伝いで、

 

 

 

 

もっと雑に言えば私たちが労働力として駆り出されるのである。

 

 

 

 

 

宿舎の前のあずまやで10分ほど待っていると、農家のおじさんたちが運転するトラックが次々にやって来た。

 

 

 

トラックから降りるなり小麦色の顔をしたおじさんが、

 

 

 

「なに化粧なんかしてんだ、ガハハ」と笑った。

 

 

予想はしていたが、面と向かって言われたので

 

化粧は2日目からはしないことにした。

 

 

 

 

ノンファルチームは大きく2つのグループに分かれ、

 

私たちのグループは2・2で別れてトラックに乗り、トマト畑を目指した。

 

 

 

宿舎からまっすぐ道なりに進むと、軍の検問所があった。

 

 

ここからは、民間人統制区域だ。 

 

 

軍事地域となり、民間人の出入りが制限される。

 

 

 

しかし、目指す畑は検問所より内側にあり、ここを通らなければならない。

 

 

私はてっきり軍の方にも話が通っていると思って、

 

 

おじさんと受付が話している間、目の前で行く手を阻んでいる軍人をじっくり観察していた。

 

 

彼は直立し、銃身の長い小銃を持っていた。

 

 

警官の腰と海外の空港以外で銃を見たことがない私は、

 

田舎道を背景に見る軍人の姿を上から下まで舐め回すように見た。

 

 

銃の中って実弾なのかな。

 

 

ヘルメット重そうだな。

 

 

靴も重そうだな。

 

 

ああやって一日中立っているのかな。

 

 

階級はやっぱり一番下なのかな。

 

 

あんまり私と年が変わらなそうだけど……

 

 

あまりにもジロジロみると変に思われるので適当に右を向くと、

 

 

びょっと、横の軍の宿舎から二人の兵士がじゃれあって出て来た。

 

 

あー交代制なのか。

 

なんか男子校みたいで楽しそうかも。

 

 

なんて思っていたとき、横でおじさんと受付係がもめていることに気づいた。

 

 

おじさんは

 

「畑を手伝ってくれるんだよ」

 

「日本人だから」

 

「毎年来てるじゃないか」

 

とかなんとか言い、検問をクリアしようとしてたが、

 

 

 

受付係は「話は聞いてませんよ」の一点張りで断られているらしかった。

 

 

 

今まで視界に入っていなかった受付係がイケメンであることも含めて

 

 

20年生きていきた中で大変な大事件で、

 

 

「化粧して来てよかった」と同時に

 

 

「いや、おじさんそれで突破しようとするのはむりじゃ……」と内心思いながら、

 

 

不安が頭をよぎりまくっていた。

 

 

ここで逃げたりしたら、あの銃で撃たれるのかな……

 

 

捕まって変に取り調べとかされたらどうしよう……

 

 

 

日本に強制送還されたら……

 

 

 

 

 

過ぎ行く妄想と事態を自分の力でどうすることもできない現実にただただ「おじさん頑張れ!」と心の中で叫ぶしかなかった。

 

 

 

 

後から聞いた話だが、村人は軍人とほぼ顔見知りなので検問は自由に行き来ができるらしい。

 

 

 

おそらくそのおじさんは自分がいるから大丈夫だろうと思ったのだろう。

 

 

 

農作業のため、パスポートも身分証も何も持って来てなかった私は、

 

 

 

書類にいろいろな個人情報を書かせられ、

 

 

 

やっと検問を通過することができた。

 

 

 

 

帰りは、ちゃんと私が区域から出たことを確認するために、名前と顔をチェックされた。

 

 

 

まぁ、2回目以降はイケメンのお陰で、怖い思いをしたことも忘れて、

 

 

 

 

検問所を通るのが少し楽しみになったのだけれど。

 

 

 

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北朝鮮が攻めてきたとき用のシェルターで寝る

 

延世大学で韓国人メンバーとの顔合わせをした後、バスに乗り込み、

 

江原道鉄原群ドチャンリという村につきました。

 

38度線平和活動、略して「38(さんぱち)」の舞台となる村です。

 

 

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ソウル市内から車で二時間半かかるこの村は、

 

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韓国と朝鮮民主主義人民共和国軍事境界線、通称「38度線」沿いにあります。

 

 第一印象としては、

 

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のどか、

 

 

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本当にのどかな村だな、と思いましたが、

 

 

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寝る場所として緊急時用のシェルターがあてがわれたときは、

 

 

あ、本当に38度線に来たのか、と実感しました。

 

 

でも、このシェルターがすごく快適で。

 

 

私が日本国内のボランティアに参加した時は、板間に座布団を並べて寝てたので、

 

 

今回も背中をバキバキにして寝なければいけないか……と思っていたのですが、

 

 

 

 シェルターの中には寝るのにちょうどいいクッションマットが大量にあり、

 

 

ただただ快眠でした。

 

 

 

何より、トイレは男女三つずつ洋式があるのに感動し、

 

 

シャワーからお湯がでる!(水シャワーと聞いていたので)

 

と日本メンバーは歓喜に包まれました。

 

 

 

例年、38ツアーは猛暑の時期とだだ被りするのですが、

 

扇風機が備え付けられてるので、室内は全然暑くなかったです。

 

 

 

このシェルター実は非常時以外は地域の交流の場になっているらしく、

 

 

カラオケとミラーボール、運動器具や卓球台が備え付けてありました。

 

 

おかげで暇な時間もシェルターの遊具(?)で遊ぶので忙しかったです。

 

 

 

 

 荷物を置いた一行は、歓迎の食事会を含めて近所の韓国料理屋に向かいました。

 

 

料理屋といっても、入り口はほとんど民家なので、知ってる人しか入れなさそうなところ。

 

 

 

そこで私も初めて食べる「豆腐焼き」を食べました。

 

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豆腐をごま油で焼いて、ピリ辛のタレでいただきます。

 

 

これがとても美味しく、見るからに安そうなのにお腹は大満足でした。

 

 

 

 

ご飯からの帰り道、夕日が見えました。

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この夕日がまた東から上がってくるころ、

 

軍人を横目に冷や汗をかくことになるとは夢にも思わずに、

 

私はスマホでパシャパシャ写真をとっていました。

 

 

 

 

 

 

38度線平和活動と私

 

2017年の夏、私は日本コリア未来プロジェクト 主催の38度線平和活動に参加してきました。

 

www.waseda.jp

 

 

日本コリア未来プロジェクトは早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンターの公認を受けたボランティアサークルです。(略してニッコリ)

 

 

38度線平和活動はサークルの柱となる活動の一つで、

 

 

毎年夏に韓国の延世大学の学生と一緒に38度線付近の韓国の村に行き、ボランティアをします。

 

参加費用はかなり安くて、7日間の村での生活費と食費合わせて去年は2万円でした。(航空券とソウルでの宿泊代を合わせても私は5万円くらいでした。)

 

 

 

私がこのサークルに入ったのが、2017年の春です。

 

 

その前から、語学の授業で先輩がチラシを配っていたので存在は知っていました。

 

 

当時の私は本当にどこにでもいる女子大生で、

 

社会問題、政治問題にとんと興味がなく、

 

38度線活動がメインテーマに添えていた「韓国の地雷問題」に行き着くまでの道のりは遠すぎました。

 

さらに、”ボランティアサークル”に対して偏見を持っていたので、

 

もちろん「ニッコリ」のことは完全スルーでした。

 

 

しかしその後、日韓アイドルから日韓の外交問題に興味が出始め、

 

 

おむすびころりん以上に興味が坂をころがりはじめ、

 

 

韓国の現代史、社会問題を経て、ニッコリにたどり着きました。

 

 

 でも、入った後もまだ、

 

「夏、安くで韓国行ける」感が抜けきれてなくて、

 

これから見る景色で自分の人生が変わるなんて1mmも予想せずに

 

38度線へ行くための成田ー仁川便に乗り込んだことを覚えています。

 

 

 

 

 

 

触れたい絵で韓国に触れて。

 

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1ヶ月前、『単色のリズム 韓国の抽象』というタイトルの、韓国の画家の抽象画展に行って来ました。

 

「1ヶ月前」と自分で打っていて、感想を書くのが遅くなりすぎたな、と反省しています。

 

去年の12月は、全力投球本気の本気のソウル旅行で、

 

飲み、食い、観光に忙しくて忘れてました……。

 

あまりにも時間がたちすぎて、展覧会自体も終わってしましましたが……。

 

ちょっと不思議な体験だったので、自己満足的に書かせていただきます。

 

 

 

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 これが、入場するときに渡されたハンドブック。

 

かなり分厚くて、重みがある。

 

そして何より肌触りがいい。

 

こだわってるななあ。

 

と思い、実際の絵を見て見たらその理由がよくわかりました。

 

 

 

 

ふと、触れて見たくなる絵たち。

 

 

 

 

 

例えば、韓紙を使って描いた絵。

 

 

 

韓紙は韓国の和紙のようなもので、和紙より丈夫にできています。

 

 

繊維が多いので、一回溶かしてキャンパスにくっつけると凹凸が大きくでて、形もはっきり浮き出るんです。

 

 

白一色の絵でも、ダイナミックでうねりがでてくる。

 

 

いくつか韓紙を使った絵が展示されていて、

 

 

その力強い凹凸を触れて見たくなりました。

 

 

ぼこぼこ、ざらざら。

 

 

 

 

なんとなくですが、この展覧会は空間がテーマになっているなと感じながらも見ていました。

 

 

手を伸ばして、その奥行きや出っ張りを確かめて見たくなる絵たち。

 

 

キャンパスに太く上下に伸びる茶色い帯が

 

 

これがずっと繋がっていて、ここだけを切り取っているように見えたり、

 

 

黒と灰色の四角が二つ重なっているだけで奥行きが生まれて、

 

 

手を伸ばして底の深さを確かめたくなったり。

 

 

上から下へ流れる線を見て、

 

 

そこを走っているはずの”点”を捕まえたくなったり。

 

 

薄肌色のぼやっとしたキャンバスに、ぼやっとした黒いシミを描いて、

 

 

あ、かげだ。

 

 

と思わせて、思わず手を光にかざして見たくなったり。

 

 

 

感覚的に、ふと、手が伸びちゃう展覧会でした。

 

 

 

 

 

 

私自身、絵の展覧会に行かなくはないのですが、

 

 

教養がA4のプリント用紙よりもペラペラなため、

 

 

絵画の見方は我流中の我流です。

 

 

 

絵の中でも抽象画は苦手で、

 

 

ぶっちゃけ、チケットいただいた時は、

 

 

ひぇっ。

 

 

と思いました。(先生ごめんなさい)

 

 

 

 

でも、行ったら行ったで、意外と楽しい。

 

 

いや、フツーにたのしい。

 

 

いや、めっちゃ面白い。

 

 

 

わーわーわー(余韻)

 

 

行ってよかったな。

 

 

と思いました。

 

 

 

 

 

でもまさか、抽象画の面白さまで韓国に教えてもらうとは。

 

 

不思議です。

 

 

なんで、私は毎回韓国なんだろう。

 

 

 ちょっと日本とちがっておもしろくて、

 

 

でも、親近感があってホッとして、

 

 

そういうのが、あるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

デートがてら朝鮮学校見学に行ってきた。

 

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大学の語学の授業でこんなチラシが配られました。

 

朝鮮学校って謎だらけでよくわからなかったし、

 

きっと彼氏も興味あるだろうから、一風変わったデートをしてみようかなと、ラインを送ってみました。

 

 

すると、

 

 

「え、僕韓国人だよ?無理。捕まったらどうするの」

 

 

という……笑笑

 

 

捕まるって、誰に?というツッコミを入れつつ、

 

 

「あ、そう、興味ないならいいよ」と突き放すと

 

 

「え、まって〜え〜むぅ……興味はあります……」

 

 

と、ダラダラ回答を先延ばしにされました。

 

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結局二人で行ってきました。

 

荒川区にある東京朝鮮第1幼小中級学校

 

建物がすごく綺麗なので、そこでまず驚き。

 

入ると、当たり前ですが、いろんな表記がハングルで

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私は「あーこんな感じかー」とぼーっと見てたんですが、

 

彼氏は、

 

「なんか言葉の使い方が違う!」

 

と韓国と異なる使い方がされるハングルにテンションが上がっていました。

 

受付を済ませると、自由に授業を見学でき、

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校舎中を歩き回っていいという、

 

ヘイトスピーチや、少し昔にチマチョゴリ切りつけ事件があったことも知っていたので、

 

見学者を信用していただいてて、ありがとうございます、と感謝を述べたくなりました。

  

私の隣の韓国人は、北朝鮮の洗脳教育をこの目で見届けてやろうと息巻いていましたけれども笑笑

 

 

見学では小学1年生から中学三年生までの全ての授業を見ることができました。

 

 

私が見た小学2年生の日本語の授業は、私も懐かしの「かさじぞう」をやっていて、

 

みんな綺麗な日本語(というより、彼らはもちろん日本語ネイティブなのだけれど)で音読してました。

 

 

その間、うちのダーリンは掲示版にこれをみつけて、

 

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ショックで言葉を失ってました。

 

 

 

四つの国旗が物語るように、生徒たちに突出した「北」というアイデンティティはないのかもしれません。

 

実際、通っている子どもの約半数が韓国籍ですし、 

 

学習会や、先生の話を聞く限り、南北合わせた「朝鮮」という視点で民族教育を行っているようでした。

 

 

そういえば、共和国の最高指導者の肖像画は教室にかかってなかったですね。

 

 

 

 

2限目が終わると休み時間で、教室から一斉に子どもたちが飛び出し、

 

 

廊下にいた私たちは邪魔者扱い。あはは。

 

 

その大群の一番後ろについていくと、隣のグラウンドに出て、

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男子全員、サッカーをしていました。

 

 

「この民族にはサッカーの血が流れているようだな」

 

 

と心の中でジョークをいいながら、天気のいい青空に思わずパシャり。

 

 

 

そして、私のダーリンはというと、

 

 

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教科書コーナーで社会の教科書を熟読してました。

 

 

想像とかけ離れた教科書で、

 

 

 

「え?民主主義について教えるの?」

 

「なんでこんなにちゃんとしてるんだ……」

 

 

と混乱の嵐の模様。

 

 

最初は揚げ足を取ろうとしてましたけど、途中で諦めたらしく、

 

 

 

横で見てた私は、おかしくてたまらないのでずっと笑ってて、

 

 

この人連れて来てよかったと思いました。

 

 

言語の他に、「民族教育」を実感したのは、音楽室の隅に積まれていたチャング(朝鮮の伝統の楽器)と

 

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 女子生徒と先生が着ているチマチョゴリ。(許可を得て、先生のチマチョゴリを撮らせてもらいました)

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先生の服装は基本的に自由で、ジャージを着ている先生もいたのですが、

 

民族教育を意識して着る人もいるそうです。

 

 

ちなみに生徒のチマチョゴリは真っ黒でした。

 

 

 

毎回思うのですが、北のというか、昔からの?チマチョゴリって上の丈が短いという印象を受けます。

 

韓国では、その時の流行によって長くなったり短くなったりするという話を、韓国短期留学のチマチョゴリ体験の時に聞きましたが、

 

この学校の制服も上の丈が短かったし、最近の韓国のチマチョゴリしか見たことない私にとっては毎回すごく新鮮に感じます。

 

 

 

 

休憩時間を挟んだ後、朝鮮学校についての学習会があって、

 

朝鮮学校の歴史についての発表を聞きました。

 

 

色々な闘争の末に、朝鮮学校はできているらしく、

 

現段階でも朝鮮学校に対する差別があるという内容でした。

 

 

 

 

その後、教員との座談会となり、私は二つ質問をしました。

 

 

Q1. 朝鮮学校の先生になるには何の資格が必要なのですか?

 

A. 日本の教員免許のようなものはありません。朝鮮大学の卒業生で、本人が希望し、こちらが適正な人物と考えたら採用します。しかし、今は給料も安いですし、仕事が大変なのが分かっているので、親が反対したり、そもそも経営難から教員を減らしていっているので、そもそもなりたい人も少なくなっています。

 

Q2.(彼氏が知りたがっていたので)朝鮮半島近現代史はどのように教えているのですか?

 

A.教科書を見てもらえればわかる通り、今は北のことも韓国のことも両方教えます。昔は、北朝鮮への帰国のための時期もありましたから一辺倒のときもありました。しかし、今は日本での永住を視野にいれて、日本のことも、韓国のことも、そして北のことも全て教えます。

(私が見た教科書では、日本の社会システムについての説明が主で、朝鮮半島のことは一つの章でまとめてありました。)

 

 他の質問で私が気になった質問です。

 

Q. 他の学校との交流はしないのですか?

 

A.運動会などの行事で、互いの学校の数人の生徒が参加して徒競走を走ったり、あとは部活で試合をするくらいです。われわれも、そういうことを試みたこともあったのですが、向こう側の担当の先生が転勤されたり、校長の意向で白紙に戻ったり、継続的には難しいのが現状です。

 

その後は、経営難の話や、外国人学校で唯一、朝鮮学校が授業料無償化の適用範囲外になったことについての話になりました。

 

 

私は朝鮮半島にルーツを持たず、この学校に入る資格を持たないし、

 

韓国人の彼氏が横にいたので、彼の言い分を聞きつつ、

 

さらに、日本の政府の考えを想像しながら話を聞いていました。

 

 

朝鮮学校は今、大きな決断の時期に来ているようです。

 

 

現在、東京にはトリリンガル教育を推し進める韓国学校があり、

 

在日の世代も3世、4世となると「在日」というアイデンティティが揺らぎ始めている。

 

そして、現状として補助金が出ず、生徒も集まらず、経営難となっている。

 

「これからの朝鮮学校」が問われているんだなと私は思いました。

 

 

私は、朝鮮学校は歴史的には非常に重要だと思いますが、生徒が集まらない限り「学校」であり続けることは難しいと思います。

 

  これからの朝鮮学校がどうなるのか、暖かい目で見守っていけたらと思います。

 

 

 

いろいろ、難しく考えてしまうこともありましたが、

 

 

この見学会自体は、とても面白かったし貴重な体験でした。

 

もっとこのようなイベントが増えて、少しでも在日や朝鮮学校についての偏見がなくなればなと思った次第です。

 

 

次は、朝鮮大学や高校、そして、比較として韓国学校に行ってみたいですね。